ー2023/12/17~2024/12/02/07までの入院記録ー
2023/12/17~2023/12/31(緊急入院、混合病棟の個室でステロイドを開始するが効かず…)

2023/12/03~2023/12/14まで、右下下腹部に痛みがあったにも関わらず、ロキソニンを飲んで耐えながら仕事をしていました。
痛くなるのが分かっていたので、食事もとっていなかった。
この後、自分の人生で一番辛い3カ月が待っているとも知らずに….
12/15(金)いつも通り仕事を終え、自宅に帰り上司と電話後、ふと熱を測ると40℃の熱があったがその日はすぐに寝て治そうとするが治るわけもなく。
12/16(土)の夜中に40℃の熱と腹痛で、順天堂大学付属病院に緊急受診することになります。
炎症反応が”27.0”あったが、仕事のこともあり、12/18に外来受診する約束のもと一度帰宅するが、、、⇦ 大後悔
12/17(日)に耐えられるわけもなく、再度緊急受診。(周りのサポートがなければ受診できなかった)
17時に緊急外来にかかって点滴を打ちながら血液検査の結果をまち、入院→病棟へ行ったのは20時半くらい。。。
痛みが強すぎて、ほとんど記憶がない。
最初は、膠原病内科の病棟ではなく、旧コロナ病棟の混合病棟に入院していましたが、部屋が空いたので、膠原病内科の病棟へ移ることになる。
すぐにステロイド50mgと抗生物質の点滴が始まった。
この時は、今月中、遅くても1月には帰れると思っていたが、あまかった。
ステロイドが全然聞かず、炎症の反応も上がっていく一方でした。



12/24(日)夜にやるM-1が唯一の楽しみだった。
熱が下がったことで、少し調子が良くなってきて、12/25(月)に重湯をスタートするが、それがきっかけとなり、体調がかなり悪化します。
「アセリオ」が全く効かず、「ソセゴン」を8時間に一度打ってもらいその時だけ楽になって寝れる。
そんな毎日でした。
「ソセゴン」は強い薬で腸にもよくないので、先生としてはなるべく使ってほしくない中、何度もお願いして使わせてもらっていました。
13時~19時くらいまではなぜか調子がよく読書をする余裕も少しありました。
夜間は痛みで寝れないなか、なぜか朝4時くらいになると急に熱が39.5度くらいまで上がってしまい、
腹痛も強くなりベッドがびっしょりになるくらい汗をかきながら唸っていました。

”「ソセゴン」を使いたいです” と看護師さんにお願いしているのに、
にこちゃんマークがついた「アセリオ」が来た時の絶望感といったらないです。
ただ朝の熱発には効きました。ソセゴン > ロピオン > アセリオ
の順で使ってました。
「レミケード」を打ってベーチェット病に対する治療をしたいのに、細菌が悪さしている可能性があるから打てない。
抗生物質を打ちながら、体調が悪くなっていくのを待つしかないという不毛な12月でした。
この間に「レントゲン」「CT」「大腸内視鏡検査」を何度かやりました。
「採血」は3日に1度くらいにペースで行っており、炎症反応も記録しています。
入院中は完全絶食状態だったので、ここで初めてCV(中心静脈カテーテル)を入れることになります。


一番の薬は面会だった。面会がない日は、髪もボサボサで髭もボーボーだったので、
早めの時間にお風呂の予約を入れて、綺麗になってから家族に会っていました。
面会があった夜は痛みも弱く、ぐっすり寝れた。本を読む余裕もあった。不思議。
◇ソセゴンの体験◇
多幸感あり。ベッドが濡れるくらい汗をかき、点滴を打ち始めてから2~3分でお腹にジュワッと液体が流れる感覚がして痛みが一切なくなる。利尿作用があったので、点滴を打つ前にトイレを済ませておいてから打ってもらっていました。副作用の傾眠が強く出ていたので、打ってから3時間くらいはウトウト、これが唯一、休める時間でした。
◇CV(中心静脈カテーテル)の体験◇
首から点滴を入れることに抵抗がありましたが、結果的には、首からのほうが楽でした。
入れる時は、顔を隠してベッドに寝た状態で行うので怖くてたまらなかったけど、麻酔を打つときにチクッとするくらいで、あとはグっと押し込まれる感覚が少しあるくらい。首、というか上半身がぎこちなくなるし、唾をのむたびに首の筋肉が圧迫される違和感があったけど2~3日で慣れました。入浴の時に水が入らないよう気を付けるくらいで、腕の点滴のように漏れる心配もなく、楽でした。
2024/01/01~2024/01/31(大腸切除、ストマ造設、ムズムズ脚症候群、メンタルクリニックに受診)
「仕事の携帯」「カレンダー曜日日付」「ライン」どれも確認するのが怖くなってしまい、日付の感覚がなくなっていました、面会の時に家族に日付を確認する始末。。。
痛みで、腰が曲がりトイレに行っても帰ってこれず車いすで運んでもらうことが何度かありました。

8時間に1度のソセゴンが頼りで、夜は幻覚幻聴(光が見えたり、人の気配がしたりカーテンが空いたような気がしたり)
があり、血糖測定も行っていたので、十分な睡眠はとれていませんでした。
画像は幻聴がして、起きた時に撮った写真です。
朝に痛みが来るのが分かっているので、逆算して”そこまでの痛みじゃない”のにソセゴンをお願いしてしまう自分がいました。もしかしたら中毒症状がでていたのかもしれません。
2024/01/07(水)頃から手術の話がでるようになり、大腸の右下下腹部、一番潰瘍のあるところを切除することに。ただ、切除してしまうことが決まってからはソセゴンを3時間に一度打てるようになったので、気持ちと痛みはかなり軽減されました。


2024/01/12(金)初めて、外科医の先生方が朝に回診に来る、この時、40℃の熱と触られるだけで、力が入ってしまうくらい腹痛がありました。しかし、朝と夜ではなぜか波があり、
夜に外科医の先生と膠原病内科の先生に大腸を摘出し、人工肛門を増設する説明を受ける頃には、それほど痛々しい様子がなかったので、外科医の先生には驚かれました。
2024/01/15(月)外科病棟へ
混合病棟➤膠原病病棟➤外科病棟と移動しました。
外科病棟は真っ白で無機質だけど、大部屋でも一人ひとりの部屋が広くて
優雅でした!


2024/01/16(火)16時:大腸摘出手術当日。21時くらいに手術が終わるが、腰の痛みが強すぎて寝れなかった。
足にはフットポンプ、尿管ステント、腕には点滴、酸素マスク?を付けられていて、私の性格には耐えられず、、、
翌朝の回診で”全て外して下さい”(´;ω;`)ウゥゥと懇願して外してもらいました。
後日、「フェンタニル」を使い術後の痛みも治まりました。
しかし、長く続けれられる痛み止めではないので、徐々に量を減らしていくことが恐怖でした。
トイレのたびに尿の量と、パウチから出した排泄物の量を測っていました。
腰の痛みが強く、「モーラステープ」を張りながら、なるべくベッドにいないようにして、病棟を午前中30分午後に1時間という風に分けてウォーキング。
痛みが治まり、余裕がでてくると時間を持て余すと思います。
”入院中に便利だったもの”をまとめたので、是非こちらも御覧ください。
2024/02/01~2024/02/07(不眠との闘い、退院交渉)
ステロイドの影響と、病室にいるだけなので体力が残っていて眠れず、「デエビゴ」「ロゼレム」という眠剤を飲んでいました。そん中、特別寝れない日があり夜間に一度だけ点滴から眠剤を入れたことがありました。
点滴から入れた夜、ぐっすり寝れたのですが、次の日丸一日寝てしまい、
その夜にムズムズ脚症候群が発症してしまいます。
地獄でした。眠剤を飲んでいるので、頭は眠いのですが、横になって寝ることができず。
大部屋の小さい自分のベッドスペースを何度も泣きながらぐるぐる歩いたり、足踏みしたり、
看護師さんと話したり、夜中に足湯をさせてもらったり、ベッドの枕の向きを変えてみたりしながら、スマホをいじる余裕もないので、朝になるまでの8時間近くを上記のように過ごす日が2日間ありました。
不眠状態で、退院日もわからない不安とステロイドの副作用が精神的ダメージが大きくメンタルクリニックに3度かかることになりました。その時に「リボトリール」を処方してもらい、何とか少し寝れるようになりました。

2024/02/05(月)に膠原病内科の先生に退院を懇願する、体調というより、精神的に病院にいることが耐えられず、
本当に頭が狂ってしまうと回診の時に相談するも、やはり、その時点では退院日は確定されず、
男性の看護師さんが、後から先生に状況を説明してくれたらしく、晴れて02/07に退院が確定する。
その時の看護師さんが寄り添いと先生の判断に感謝しかない。
2024/02/07(水) 【念願の退院!!】
しかし、、、食事がどうしてもとれず、口の中も真っ白で違和感があったので、退院初日に緊急で歯医者にかかりカンジダと診断され「フロリードゲル」の処方箋を書いてもらうが、扱っている薬局がなく40分かけて何とかゲット。
1日4回使い、効果が現れてからは食事がとれるようになりました。

2月中はリハビリ期間のような感じで仕事はせず、徐々に日常生活を取り戻していきました。





